”余白が子どもたちの創造力を掻き立てる”とはいいながら、それを活用しきる”人の素養”もあるんじゃないかと思います。その素養には、デンマーク人の自己決定権の理念が根底にあります。私がそれを感じた幼稚園の事例をご紹介しましょう。
オーデンセ市内から車で40分程度のところにある幼稚園です。農家を改修した施設は、広大な緑に囲まれた素晴らしい環境でした。敷地内には食用の豚、山羊、鶏なども飼っています。訪問時にいただいた昼食も先日屠殺した羊の肉とのこと(^_^; 60人の子供に10人の職員(その内テンポラリーが5名程度)が働いています。
昼食以外に決められた時間割はなく、子供たちは伸び伸びと好きなことをやって過ごしています。職員は「とにかく子どもたちの自由にやらせている」といいます。物事は体験を通じて学ぶことが効果的。だから多少、危なっかしいことをしていたとしても放っておきます。そして失敗した時の気づきに価値があるとしています。そもそも、”危ない”というと”本当に危なくなる”と。習うより慣れろといった体験型の保育を重視しています。
敷地内には子供の自由気ままな遊びを受け入れる環境が用意されています。ブランコ、アスレチック、芝生(外で昼寝!)、木登り、泥んこ遊び、乗り物(いっぱい!)、砂場、そしてペタゴー(保育士に近い。ただ日本の保育士より職域はかなり広い)の目から逃れられるうっそうとした茂み(子供の創造力を育むのだそうだ)。また家畜の山羊、豚、鶏だって自由に触っていい。泥んこまみれは楽しみぬいた勲章だったりします。建物内にも子供の創造性を刺激する森の絵、ひそひそ話をしたり物語を聞かせる暗い部屋、一緒に料理をしたり観察したりできる開放されたキッチンには、子供が料理の様子を覗けるように台が用意されています。
職員は子供たちに対して共通の保育をしないように心がけているといいます。それぞれの子供の成長度、性質に応じて柔軟に対応します。子供の内的な自発をくみ取り、きっかけを与えてあげるような保育。例えば読み書きなどの学習は、興味がある子にはその機会を与えますが、そうでない子には与えたとしても効果はないとしています。成長度合いによっては、国民学校(小中学校)の入学を留年させるのも厭いません。それが通例だといいます。
そして子供の社会性を観察しているといいます。いじめている子には頭ごなしに注意するのではなく、いじめられた子がどういう状態になっているかを悟らせるようにします。なかなか周りと打解けない子には、ひっそりとグループを変えてあげます。また子供の創造性を束縛しないように注意を払います。LEGOを使った遊びでも、予め○○を作ろうなどど創作対象を限定することはしません。
親たちと協力しながら幼稚園を作り上げるよう配慮しています。年2回は”労働の日”として、親たちが集まり、様々な遊び道具、小屋などをボランティアで作り上げます。園内で朝食を一緒にしてから出勤する親もいます。時には親から身の上相談を受けることがあるそうですが、子供を守るためには親も守る必要があるとして対応するそうです。
園長に「もし日本の幼稚園長を頼まれたらどうするか?」と質問したところ「まずは共感できる同僚(同じ思想、教育方針)を探す。そして子供を少なく、大きな広場を用意し、とにかく”好きなように遊ばせたい”。そして極力屋外で遊ばせたい」といいます。彼女は日本の幼稚園、小学校に訪問したことがあるそうですが、その狭さと”生徒全員が同じ方向(先生側)を向いての授業”にかなりの違和感をもったようです。
デンマーク人の自主性を重んじる教育は、創造性豊かな子どもたちを育むことにつながるのかもしれません。それでこそ、”子供たちのため余白”が活きてくるはず。ハードとソフトの両輪が揃ってこそ場は活性化するのだと思います。
磯村 歩
株式会社グラディエ 代表取締役
ユルツナクリエイティブディレクター
デザイナー
ユーザビリティエンジニア
ユニバーサルデザインコンサルタント
1966年愛知県常滑市出身。1989年金沢美術工芸大学工業デザイン専攻卒業後、富士フイルム株式会社のデザイナー としてビデオカメラ、デジタルカメラ、医療用機器などのインダストリアルデザイン、インタフェースデザインに従事。日刊工業新聞社 機械工業デザイン賞、財団法人日本産業デザイン振興会 グッドデザイン賞選定など受賞多数。特にユーザビリティ向上にむけたデザイン開発プロセスの改革に取り組み、2007年にはユーザビリティデザイングループ長としてデザイン戦略立案とHCD開発プロセスの導入と推進を担う。「感じるプレゼン」(UDジャパン)執筆以降、ユニバーサルデザインに関する講演を数多く実施。2010年には北欧福祉の研究のためEgmont Højskolen及びKrogerup Højskolen(いずれもデンマーク)に留学、また株式会社グラディエを設立し、現在に至る。