コーポラティブの可能性
株式会社ゼロワンオフィス一級建築事務所 代表取締役 伊藤正さん
株式会社 ゼロワンオフィス一級建築士事務所(以下ゼロワンオフィス) 代表取締役 伊藤正さんは、今多く作られているスタイルのコーポラティブハウスを長年取り組んでこられました。建築家としてコーポラティブハウスの可能性をいち早く見出し、ネットを活用し“集まる力”を活かすなど戦略性に富む活動をされて来られました。本インタビューではコーポラティブハウスの本質や家作りの可能性など、現場を熟知されている伊藤さんにしか語れない貴重なお話しをお伺いすることができました。読めばきっとコーポラティブハウスが好きになること請け合い! では、伊藤さんの授業はじまりです。
Q:ゼロワンオフィスの成り立ちを教えていただけますか?
ゼネコンに勤めていたのですが、25歳でフリーランスになり、しばらくは店舗設計、インテリア、住宅設計などをやっていました。そしてバブルが近づくにつれ法人との仕事の機会が増え、有限会社としてゼロワンオフィスを立ち上げました。それから10年程経って40歳を目前にした時「このまま設計を続けていいのだろうか?」と建築家としての将来に疑問を持ち始めたんです。
例えば一軒家ではハウジングメーカーが多くの受注をとっていきます。設計事務所の多くが、そのハウジングメーカーや工務店の下請けに入ってしまう。それでも一戸建てにおいては、私たちでも細々と頑張ることが出来たのですけれども、分譲マンションの場合は、ほとんど設計事務所に仕事の主導権はなくて、 デベロッパーや不動産が独占的に主導権を持っていました。こうした大きな物件の場合、設計事務所はほとんど下請けで、一定の基準と予算と工期の中で、がむしゃらにやっているだけだったんです。
それに生きがいを感じている人って誰もいなくて、みんな“食うためにやっている”って感じなんです。でも一般的に建築をやっている人間っていうのは、学生時代からまじめ一辺倒で徹夜徹夜を厭わず課題と勉強をこなしてきた人が多い。そうやって社会人になっても仕事も徹夜を厭わず、休みも厭わず質素にやってきている。なのにどうして頑張っている人間がそういう立場なのかと。それだけ勉強もしてきているし、知識も能力もあるべきものを有効に使っていないというのは非常にもったいない。ということであれば、設計者が主導権をもったマンションというのが出来ないものかと考えたんです。そうしている中でだんだんインターネットといったようなものが普及しだしてきて、ふと思いついたのが“コーポラティブハウス”でした。それであちこちの設計者への仕事の機会が増えればいいなあという願いを込めて始めたんです。
建築家が主導権をとるためには、はじめに建てる人を集めてしまって、それを発注するという形になれば、デベロッパーはいらないはずだし、ゼネコンに対しては発注者になるわけですので、入居者の立場でモノがつくれるはずだし、それをサポートできるって言うのは、やはり設計者だろうと。それで“コーポラティブハウス”だと。それからいろいろ調べはじめたんですが、その当時はまだコーポラティブハウスをやっている会社も少なかった。とにかく情報が無い中で「どういうモデルでやっているのか」「そのスキームは?」「どうやって実現していくか?」など全て自分で考えざるを得ない状況でした。ただ少なくともコーポラティブハウスを建てるためには、人を集める必要があるわけだからインターネットは有効なんだろうと。いろいろな不安がある中で唯一インターネットに対する可能性だけは信じていましたね。
それでウェブデザインを見様見真似で作って公開し始めました。ただ幸運なことに、雑誌社にアピールすると割と取り上げてくれたのもあって反響は良かったですね。また不動産鑑定士をやっている知人の協力も得られて、土地などの周辺情報も集まってきて、スキームも徐々に固めていくことが出来ました。
ただ最初にぶち当たったのが土地の取得方法だったんです。土地の情報はあったとしても、どうやって取得するのか?というのが大変でした。コーポラティブハウスは先に土地を買わなくてはならないんですが、その土地のお金が数億ですよ。10世帯くらいの施主を何とか集めたんですが、その土地を取得する資金がない。先行して銀行から融資を受けなければならないのですが、住宅やらマンションやらが完成する前なので、いわゆる住宅ローンというのは使えない。そこでいろいろ調べていったら、金融公庫の新しい“コーポラティブ融資”というつなぎ融資をしてくれる商品を見つけたんです。
じゃあそれを使おうということで、事業企画書やコーポラティブハウスの図面やスキーム、計画書などをもって土地代の融資を出してくれないかと方々の銀行を回りました。知っている名前の銀行はほとんど全部あたりましたね(笑)支店でいうと100近く廻ったと思います。
あと、融資条件などにおいて組合の結成が必要だったんですが、その規約の雛形になるようなものというものもほとんどなくて。弁護士に相談をしながら、それこそ二人三脚で規約から含めて関連するものを全て作っていきました。あの時はとくかく無我夢中で、よくあんなにパワーがあったなぁというくらい苦労しました。もしもう一回同じことをやれって言われても出来ないでしょうね(笑)、結果的には多くの苦難を乗り越えて、第1作目をこの世に送り出すことができました。
ですから、コーポラティブハウスを始めた動機というのは「最大限設計者の能力を発揮して、設計する人が誇りと愛着とプライドを持って仕事ができる集合住宅を作ろうじゃないか」というものだったんです。どちらかというと、ユルツナの主旨とは異なるかもしれないんですが、コミュニティが先というよりはハードへの思いが先にあったというのが正直なところです。自分の中では、そのための武器として、人を集めるという“つながり”を作り出していった。人々が集まれば、必ず大きな一つの力になるだろうと。
コーポラティブハウスをやるというのは“人から入っていく”というのが本来の趣旨でしょうね。日本における創世記のころは人のつながりに重きが置かれたものだったように思うんですが、2000年前後から始まった第二世代のコーポラティブハウスの主導者たちは、どちらかというと、ハードが先にあったのだろうと思います。今のコーディネーター会社が行っている土地、建物、コスト、資金など関連する全ての要素を用意してから人を集めるというスタイルが現実的なのかもしれません。
そういった意味で僕は“コーポラティブハウス”という言葉を使うのに少し気が引けていたんです。それで当初は本来の“コーポラティブハウス”とは違うといった意味で“創作住居”という名称を使っていました。